暁の帝 壬申の乱編

今日(すでに昨日ですが)もう1本お芝居を観て来ました。

私が一番大好きな時代の物語。

「暁の帝 壬申の乱編」@シアターグリーン ビッグツリーシアター でした。

日本の国の基礎が固められていく時代ですし、万葉集の時代でもあります。

小学校や中学校で「防人の歌」などを習ったとき、防人ってなんでそんな人がいたんだろう???って不思議に思いませんでしたか?

東国から北九州地方へ男たちが派遣され、国防を担ったとは習っても、何でわざわざ東国から派遣され、国防を担う必要があったのか明確に習った記憶はありませんでした。

でも、白村江の戦いに倭国軍を派遣し、唐・新羅連合軍に敗退したため、その余勢をかって唐・新羅連合軍が倭国に押し寄せて来るのではないか?と案じた中大兄皇子が防人制度をつくり国防を担わせたんですね。

そのころのお話です。



前置きが長くなりました。。。。

「暁の帝」の物語は、「ほぼ」私の記憶している当時の歴史に沿った物語になっています。

この「ほぼ」の部分については、ネタバレにつながる恐れがあるので詳しくは書きませんが、大海人皇子(=天武帝)が中大兄皇子(=天智帝)と大友皇子と比較して立派に描かれ過ぎているように思われた点です。

もちろん天武帝は日本の基礎を固めた歴代の帝の中で重要な人物であることは間違いありませんが、天智帝は、(まぁ、いろいろ問題のある人物でしたが)あの難しい時期に国造り進めた偉大な帝であり、天武帝に劣る人物ではなかったはずです。(天皇の諡号で「天」の文字が付くのはこの二人だけですから!)

そしてその天智帝に後継者とされた大友皇子は、ただ単純に天智帝の息子だから後継者に指名されるようなそんな人物ではなかったはずです。そうでなければ、未だ国家の形が定まらない時期ですから、豪族たちを従えることなどできないことは、天智帝ならわかっていたはずですから。

そしてまた、有能な二人の皇子が並び立てば、倭国は唐・新羅連合軍に対抗できないことを知っていたからこそ、大海人皇子を廃し大友皇子を立てようとしたのだと思います。

実際には、当時の唐は後に則天武后となる武皇后の暴政期に当たり、倭国へ出兵することができるような時期ではなかったのですが、これは百済滅亡後大陸への足場を失った天智帝達には知りようもなかったのかもしれませんが。。。



時代背景についても長くなりましたが。。。(^^;)

まず気になったのが、舞台装置がほとんどなかったことですね。

普通は背景や建物の一部とか家具などが舞台上にありますよね!

それがなかったんですよね。。。。

客席に着いた瞬間、、「えぇぇ!?」って思いました。

でも、なかなか考えられた舞台でしたね!!

どんな舞台だったか?

それは、是非劇場で確認してみてください!

そして、上記の通り「ほぼ」史実に合った物語であったことが、観ていて違和感なく物語に入っていけましたね。

これは、私にとってはとても重要なことです!!

(今日、、てか、昨日ですが、観た艶ステではここでつまづいたくらいですから。。。)

天武帝の即位までの流れがよくわかる舞台で、私的には非常に楽しめました!!

もちろん細部ではこれはねぇよな。。的なエピソードもありましたが。。。

まぁ、「お話」ですからね、、これくらいは全然OKですよね(^^)

そうですね、、感想としてはとても面白く、興味深く、楽しめた舞台でした!!



「暁の帝」には、私の応援しているキャストさんは出演していません。

私の大好きな時代の私の大好きなエピソードの舞台なので是非観たい!ってことで観に行ったものです。

ですが、出演しているキャストさん全員が素敵な人達でした!

っていうか、あの近江大津京で生きている人達にみえました。

あぁ、、、タイムマシンがあったらあの時代を一緒に生きてみたい。。。。そう思いましたねぇ。。。。。

でも、一般庶民は京で生きている人達とは全く違う生活だったんでしょうけど・・・

殿上人たちと庶民の両方を見てみたいですねぇ・・・・・・

そんな風に思える舞台でした!!



是非皆さんも、あの近江大津京で生きた人々に会いに行ってみてください!!!

上演は7/1(日)まで。

池袋シアターグリーンにて!!



余談ですが。。。。

劇中にも出てきますが、鸕野讃良皇女(=後の持統帝)は天智帝の娘であり、天智帝に似ていた(容姿ではなく性格や考え方だと思う)と言われています。

天武帝亡き後、持統帝として即位した彼女は、中臣鎌足の息子(一説には天智帝の子という説もある)藤原不比等を臣下として重用します。

つまり、天智帝の後の天武帝が敷きなおした路線を、持統帝は再び天智帝路線に戻し、天智帝が描いた日本国の青写真を現実のものに創り上げていくのです。

日本古代史最大の内戦、壬申の乱。

天武帝と一緒に野をかけた後の持統帝。

天武帝は死後こうなることを予想したのでしょうか???

そう思うと、何となく壬申の乱の勝者は天武帝側ではなく、天智帝~大友皇子側だったのではないか??

・・・・・・なんてね、、、、思ったりもして。。。。

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